玉造稲荷神社
創祀が第11代垂仁天皇の時代とされ、西暦では紀元前12年となります。とはいっても伝説の時代のことなので、年代は適当です。垂仁天皇の時代にこの地では勾玉が作られ、勾玉を作る玉作部が置かれていたことから、神社もできたのでしょう。
仏教を受け入れるかどうかを巡って曽我氏が物部氏と戦った際に、曽我氏側の聖徳太子がこの地に陣を置き戦勝を祈願しました。物部氏との戦いに勝利した聖徳太子はこの地に観音堂を立てました。1576年の石山合戦で焼失し、再建後に大坂の陣で被害を受けて再び再建されましたが、明治の廃仏毀釈で取り壊されました。観音堂の位置に使用されていた石が「聖徳太子偲び石」となっています。

